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2014年3月11日 (火)

【2014年春版】wikipediaより詳しい!我らがホン・ジニョンのプロフィール

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新曲「ブギメン」の発売以降、
新規でお越しくださる皆様のためにお送りした2013年3月の記事、

題して!
「wikipediaより詳しい!我らがホン・ジニョンのプロフィール」

あれから1年経ち、今度は「私たち結婚しました」関係で、
また新規の皆様が増えることも予想されるため、
その後の動きを加筆修正したアップデート版を今回はお届けします。



Q1:名前は?

A1:日本語読みでは、「ホン・ジニョン」
韓国語表記では、「홍진영」
英語表記では、「Hong Jin Young」となります。

ちなみにこれが本名です。
演歌歌手としてのデビュー時に、芸名も考えたそうですが、
結局本名でいくことにしたそうです。

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Q2:漢字ではどう表記するの?

A2:今のところ、正式には公表されていません。
韓国版wikipediaには「進英」の表記がありますが、不確かなようです。

なお、中国のサイトではどうしても漢字で表記する必要があるため、
「洪真英」「洪珍英」などを当てているようです。

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Q3:まだ若いですが、いくつなの?

A3:1985年生まれです。
満年齢ではまだ20代後半ですが、韓国式(数え年)では30歳になりました。

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Q4:身長や体重は?

A4:公称値は時期によりばらつきがありますが、
一応166センチ、45キロ前後としているようです。

画面で見る限りは、韓国の女性歌手の中でも比較的大柄なほうです。

演歌デビュー時(2009年)はまだやせていましたが、
その後2011年にかけてだんだんとふっくらしてきていました。
しかし2013年春の新曲発売時から「一日一食」ダイエット法を実践し、
それ以降はかなり体を絞ってきています。

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Q5:見た目はいかにも韓国の人って感じですが、出身は?

A5:全羅道の中心都市、光州広域市です。
韓国では大きいほうの人口100万を超す街ですが、
基本的に全羅道というのは農村地帯ののどかなところで、
最初はなまりが抜けなくて、放送ではあまりしゃべらなかったとか。

ただ、お父様の仕事(詳しくは後述)の都合で、
小学生のときにアメリカのウエストバージニア州で2年ほど暮らしており、
このため英語はある程度しゃべれるようです。

ちなみに、日本語は全くわからないようです。

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Q6:韓国は肩書きが物をいう社会だそうですが、学歴とかすごいんでしょうか?

A6:光州を代表する私立大学、朝鮮大学校で
貿易学科→貿易学修士→貿易学博士と進み、
2013年2月、博士課程を無事修了しました。

とはいえ、もともと勉強は全く好きではなく、
小さいころはマンガばかり読んでいたそうで、

しかも通常、韓国の芸能人は、高校・大学は
ソウルにある芸能専門のところを専攻することが一般的で、
当然そういうところを希望したそうなのですが、

ホン・ジニョンのお父様は朝鮮大学校の経済学名誉教授で、
普通の大学・学部への進学しか認められず、こうなったとか。

しかも「成績が3番以内になれなければ歌手になるのは認めん!」という厳しさで、
それでも頑張って2番に入った結果、歌手を目指すことができたというエピソードも。

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生活面でもお父様は厳しく、学校ではスカート厳禁のクールな服装を余儀なくされ、
行き帰りも同伴だったそうで、
歌手として有名になった後は、その様子を見た学生たちが、
親子とは知らずに「教授と人気歌手に深い関係が!?」と騒いじゃったとか。

ただ、韓国ではどうしても演歌歌手というのは低く見られる風潮があり、
それを挽回するためにも、
また将来、歌手だけでなくマネージメントビジネスを手がけることなども考えて、
芸能活動と並行して貿易学を博士課程まで修めたとのことです。

ちなみに博士論文のタイトルは「韓流コンテンツの問題点と解決策」でした。



Q7:最初から演歌歌手なんですか?

A7:幼いころから演歌が大好きで、演歌歌手になるのが夢で・・・
みたいな話は全くないようで(そういう感じに見えないですよね)

とりあえずは歌手になるのが夢で、芸能事務所の門を叩きますが、
最初の事務所では役者しかやらせてもらえず、まずは演劇の舞台に立つことに。

その後は女優として、時代劇の子役、映画の脇役などでカメラに登場しますが、
その間も歌手デビューを目指し、何度かアイドルグループでのデビュー目前までいくものの、
なかなか実現せず。

やっとこさ2007年に「SWAN」という4人組のガールズグループで歌手デビュー。
アルバムを1枚リリースし、歌番組にも登場しましたが・・・↓

・・・今時珍しい、清純派路線!?

当然ですが、全く売れなかったそうです。
アップから4年で再生回数がたったの1400回ってのがそれを物語ってます。
結局最初のアルバム活動のたった2ヶ月で、グループは所属事務所ごと消滅しました。

その後も女優としてのオファーはあったようですが、やはり歌手の夢は捨てきれず、
かといってガールズグループでのデビューはもうこりごりで、

なんとかソロで歌手デビューしたいと、新人発掘の番組などに挑戦しつつも、
なかなか結果が出ず、

父親からは「さっさと光州に帰ってこい」と何度も言われ続け、
しかし夢破れて里帰りというのではさすがに面目丸つぶれなので、
歌手がもう無理なら、いっそアメリカに留学しようか、という状況だったようです。

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そんな後が無い状況の中、転機が訪れます。

大手事務所コアコンテンツメディアのオーディションに挑戦し、見事合格。
このとき演歌(チャン・ユンジョンの「花」)を歌ってみたところ、
これが事務所代表に気に入られ、
「演歌歌手でいってみよう」ということに。

ちょうど当時は、チャン・ユンジョンの「オモナ」から始まり、
人気アイドルまでもが演歌を歌うような「新世代演歌ブーム」のまっただ中でした。

もちろん最初は「演歌なんて」と激しく嫌がったそうなのですが、
結局他にできることもなく、事務所に説得される形となり、
全く意図していなかった、演歌歌手としての2年近い訓練が始まります。

その傍らで、2008年に、KBSの「サイダー」というバラエティ番組の、
「アンナの失敗」というコメディーで、主人公のソン・アンナ役を演じました。↓

これが結構好評で、「アンナ」として一定の知名度を獲得します。

そして2009年、満を持して演歌歌手へ転身します。
6月19日に「사랑의 배터리(愛のバッテリー)」で演歌歌手デビュー。
各種メディアで「あのアンナが演歌歌手に」と取り上げられます。


↑デビュー時のインタビュー映像

この曲、元々は同じ事務所の先輩グループ「See Ya」のために、
K-POP界のヒットメーカー「チョ・ヨンス」が作曲したものを
急遽演歌にアレンジしてホン・ジニョンに充てたもので、

K-POP出身で演歌初挑戦の歌手と作曲家による、懐かしくも全く新しいこの曲は、
発売から2ヶ月かけて演歌チャート1位となり、以後それが4ヶ月も続くという、
2009年最大の演歌ヒット曲となってしまい、

チャン・ユンジョンに続く、若手新世代女性演歌歌手の一人として
ホン・ジニョンは一気にスターダムにのしあがります。

有名俳優やアイドルを起用して、K-POP同様、かなり本気で作られた
MV(ミュージックビデオ)も話題になりました。


↑気合いが入りまくりのMV



Q8:他にはどんな曲があるの?

A8:2010年8月3日には、2曲目の「내 사랑(私の愛)」を出します。


↑前作以上にコミカルな仕上がりのMV


↑「私の愛」MV撮影時の様子を伝える芸能ニュース。

「セクシー」を前面に押し出し、果敢に男性にアピールする女性を描いたこの曲、
実は原題は「줄까 말까(あげようかどうしようか)」でしたが、
体を差し出すという性的な意味もあるきわどい言葉だったため、審査に通らず、
「내 사랑(私の愛)」という、とってつけたような平凡なタイトルとなってしまい、
インパクトが減少。

加えて、発売直前に、同じ光州出身で仲の良かった
プロ野球キア・タイガースのチェ・ヒソプ選手との結婚報道が出ます。
これは全くの事実無根で、両者ともすぐに完全否定しましたが、
この騒動が新曲発売のための売名行為ではないかと非難されることに。

演歌としては決して売れ行きも悪くなかったものの、
前作「愛のバッテリー」が世代を超えて国民的ヒットとなったのに比べれば、
どうしても勢いは足りず、

これ以降は同じ事務所で絶好調のT-ARA、Davichiの影に隠れながら、
新曲発売の順番待ち状態に陥ります。

翌2011年は、新曲を出せないまま、
「愛のバッテリー」「私の愛」で、散発的に歌番組やイベントをこなす日々。


↑KBS全国のど自慢


↑MBC美しいコンサート


↑CJB全国Top10歌謡ショー


↑KBS歌謡舞台

2012年1月1日に、やっと春に新曲を出しますよと発表。
しかし、4月中旬に、1回きりのカメオ出演の予定で呼ばれた
MBC月火ドラマ「光と影」にそのまま連続出演が決まってしまい、
ドラマ出演が終わった後の夏に新曲は順延。

このドラマで、つけ髪を使って80年代風レトロ調「前髪パッツン」に挑戦。
これが大好評で、その後のイメージチェンジにつながることになります。

ドラマは無事終了、その後すぐに新曲を発売、の予定でしたが、
ロンドンオリンピックが終わるのを待ち、
続いて所属事務所のT-ARA騒動が収まるのを待ち、
さらにその後の「江南スタイル」ブームをやりすごし、
そうこうするうちに契約更新の時期を迎えて、と、
完全にタイミングを見失ってしまいます。

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11月になると、契約更新をせずに
Davichiとホン・ジニョンとそのマネジメントスタッフとで
コアコンテンツメディアから独立することを発表します。

しかし、一転、Davichiは元のさやに収まることを宣言。
これで完全に宙に浮いた新事務所計画ですが、
これ以上の順番待ちポジションは堪えられないということで、
なんと2013年から、あのペ・ヨンジュン率いる
俳優の事務所キーイーストへの移籍という、異例の展開に。

こうして、前作「私の愛」から2年8ヶ月、
独立後の新体制では初となるシングル「ブギメン」を
2013年3月22日、当初の予定より約1年遅れでリリース。

今度はつけ髪ではなく、本当に前髪をパッツンに切って、
やはり演歌は初めてのK-POP界の作曲家「チェ・ギュソン」とタッグを組み
前2作とは異なる路線の意欲作となりました。



Q9:たった3曲で、CDはどうなってますか?コンサートとかどうするの?

A9:3曲ともデジタルシングルというダウンロード販売のみで、
CDはプロモーション用の非売品のものしか用意されていません。

日本では「愛のバッテリー」「ブギメン」の2曲が
iTunesでダウンロード可能です。

コンサートも、3曲では単独コンサートができるわけもなく、
様々な歌手をあつめて合同で開催されるイベントへの参加がほとんどです。



Q10:日本での知名度は?

A10:今まで日本での活動は全くしておらず、
日本のメディアもこれまで全く取り上げてませんので、
一般的な知名度はほぼゼロだと思われます。

ではK-POPファンにはどうか、というと、
日本でK-POPが認知されてきたのは2010年夏以降ですから、
2009年の「愛のバッテリー」ヒット時はもう過ぎており、
「私の愛」でK-POP番組に出ているかどうか、というところで、

日本でのブームが一段と盛り上がった2011年には、
ほとんどK-POP系の番組への出演はありませんでしたので、

結果として、ブームになる前からK-POPに注目していたとか、
よほどいろんな歌手を知っているコアなファン以外には、
あまり知られてない状況でした。

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2013年春には新曲でK-POP系の番組に戻ってきますが、
こんどは既に日本でのブームは去っており、
やはりごく一部にしか知られていない状況が続いています。

なお、2013年春の段階では
「日本に進出してみるつもり」「日本で韓国演歌を伝える」
と、各種インタビューで日本日本と急に発言しはじめ、
今後はひょっとしたら日本進出がありえるか、という状況でしたが、

その後、韓国での活動状況が大幅に変化し(後述)、
それ以降は、日本も含めて海外進出の話は出ていません。



Q11:韓国ではどうなんですか?

A11:「愛のバッテリー」は文句無しの大ヒット曲で、
10代から60代まで性別・年代を問わず幅広く知られており、
カラオケはもちろん、結婚式の余興、スポーツの応援など、
幅広く親しまれています。

選挙ロゴソングの元ネタとしての人気も高く、
2012年の国会議員総選挙では与党セヌリ党の公式ロゴソング、
同年の大統領選挙でも与党パク・クネ候補者の公式ロゴソングに
採用されました。

一方で「愛のバッテリー」を歌う以外の仕事となると、
コメディ「アンナの失敗」やドラマ「光と影」でのコミカルな演技が目立つ程度で、

若手女性演歌歌手としては、チャン・ユンジョンに次ぐ
ヒット曲ホルダーという位置づけではあるものの、
伝統演歌への挑戦もまだ、本格的なアルバムの発売もまだと、
限定的な活動が続いていました。

2013年になると、新曲「ブギメン」の披露でまず歌番組に復帰し、
また事務所を移籍したこともあって、いくつかのバラエティ番組を新規開拓します。

そのうち、2013年6月に出演した、
MBCの人気バラエティ「ラジオスター」での軽妙なタメ口トークが
賛否両論ながら大きな話題となり、

これがきっかけとなって、各種人気バラエティ番組への出演が次々と決まり、
韓国での人気が一気に回復します。

2014年になってもその勢いは全く衰えず、
いまや歌手の枠を超えたマルチタレントとしての活躍が始まっています。



Q12:それ以外の国では?

A12:台湾・香港・中国・タイなどは、日本よりK-POPの流行が早かったらしく、
「愛のバッテリー」のヒットにちょうどブームのタイミングがあったため、
特に中国系サイトでの動画アップは、日本よりはかなり多い状況でした。

2011年以降は、同じ事務所だったT-ARAの海外活動が本格化し、
T-ARAを通じて、関連動画などで「愛のバッテリー」に触れるファンが増え、

この流れで、2013年の「ブギメン」発売時には、
公式ツイッターの新規フォローやYouTube動画への新規コメントなどは
ほとんど東南アジアやアラブ方面のユーザーが占めるようになります。

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ところが、2013年6月以降は、
前述のとおり韓国での人気が一気に回復したため、
公式ツイッターの新規フォローやYouTube動画への新規コメントなどは、
ほとんどが韓国国内からとなっています。

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